作 者 / 文同
複製媒材 / がせんし    複製尺寸 / 31x48.3 cm

ストロークが生々しくラフな墨竹の絵の作品がすでに唐墓の壁画に登場している。宋朝に入り、墨竹絵の発展をつづけ、、文人たちに大変好ましいテーマになり、文同や蘇軾たちにはマスターとも言えよう。文同は字号與可をつけ、四川梓潼出身。元豊年間知湖州に出仕の命を受け、ようやく赴任せず、世人に「文湖州」と呼ばれるようになった。文同が墨竹を書いたり、竹の自然生態の観察を重視し、濃い墨や淡い墨の間の変化により竹の葉の表裏を暗喩し、真実の様子に応じた上、筆墨の趣を帯びる。その後元朝の李衎、柯九思などはこの写実の画法を伝承し、墨竹の絵の発展におけるピークをようやく遂げた。絵史上には「湖州竹派」と総称した。この軸は畳んだ竹の一つ片隅の景物で、折り畳んでまだ切っていない竹の幹の様子を描き、まるで現場に臨むように画軸の上に文同の名前が残り、原作とはあまり調和しない感じがあり、ひいては竹の葉の構造の規律さや竹の節の筆法は元朝人によく見られた画法である。ゆえに、名を託し作成する絵を推知でき、湖州竹派の写実的風貌に属するが、元画家は別人であると分かった。